ある臨床心理士さんの講演で・・・
「よりそう」
たとえば、
子どもが突然熱を出した
親は慌てて、病院に連れていく
その症状にもよるけれども、
ちょっと様子を見ることはできないか
「どうしたんだろうね、寝冷えをしたかなあ
昨夜は窓を開けたまま寝ちゃったからね
のどは痛くない?
氷枕してちょっと寝ていなさい。
ひどくなるみたいだったら、お医者さんに行こうか」
子どもの寝顔をよ~くみてみる
お腹が痛いなら、しばらくさすってあげる。
痛いの痛いの飛んで行け~なんて言いながら
子どもが言うことに耳を傾け、
その気持ちを共有する心の余裕はないものか
「よりそう」とはそんな一見些細なことのように見える
何気ない行為ではないか
そういえば以前にこんなことがありました。
いつもは痛くならないようなところが
痛かったんだと思います。
身体のどこだったか忘れましたが…
主人にそのことを話したら、その時はたまたま
いつもとは違って、こんなふうに言いました。
「えー、そんなこと言われても
ボクは医者じゃないからわからんよー
お医者さんに行っといでよ」
その言葉に私は反論しました。
「あなたに診断してもらおうなんて思ってないよ。
ただ、どうしたんだろね、何かこうなる心あたりでも
ある?とかなんとか言ってほしかっただけよ。」
まさにこの時私は、
たいそうなことをしてほしいわけじゃなくて
そっと寄り添って、私の痛みと疑問を共有してほしかっただけなんですね!
いい大人だから、自分の気持ちをストレートに言えたけど
子どもはこうは言えないでしょう。
「よりそう」とはこんなことなんだ、と
ちょっとわかった気がしました。


新築のお宅のシンクがほぼ完成です。
この上にステンレスの流しがつきます。
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